最終号となった今月は、旧東京美術学校西洋画科(現東京芸術大学美術学部絵画科油画専攻)の学生だった清一が、幼なじみの吉野八千代に贈った挿絵入りの『小唄集』をお届けいたします。清一はこのとき21歳で八千代は11歳、今から96年前のことでした。
『小唄集』は、石川啄木、北原白秋、前田夕暮、与謝野晶子、若山牧水らの短歌19首を取り上げ、1首ごとに墨と水彩絵具で描いた愛らしい挿絵を添えたロマンティックな作品で、40ページのアート紙を糸で綴じた縦16cm、横12cmの小さな本に纏められています。『今月の一枚』(2002年8月号) の『九歳の八千代』では、この『小唄集』の一部をご紹介いたしましたが、今回はその全体をご紹介いたします。
文学少女だった八千代は自分でも短歌を詠むことが好きで、1920年代に作った300首余りの短歌を書き綴ったノートが残っています。このノートの扉には「堰きあへぬ胸の嘆きは三十一文字 かきながしてぞなぐさまるべき」とあり、幼かった日々の思い出や季節の移り変わりなどを詠んだ歌をはじめ、清一への恋慕の情を詠んだものが少なくありません。この中に次のような2首があります。
夕方の勤行ならむ谷中なる きみが住居に鉦きこゆるは
谷中なるきみが住居のめずらしや 夕べとなれば木魚ひびきて
察するところ、清一は美術学校時代に東京下谷区(現台東区)谷中の寺に下宿していたのではないかと思われます。美術学校には学生寮がなかったので、地方出身の画学生が安上がりで通学に便利な谷中の寺を下宿にしていた例はいくらもあったようです。
余談はさておき、さっそく『小唄集』のページをめくってみることにいたしましょう。
▲ 鈴木清一作『小唄集』(1915年)、個人蔵、左:おもて表紙、右:裏表紙 ▲ 扉 「小唄集 鈴木清一作 MAR.28, 1915」と記されていることから、美術学校の春休みに ▲「椿」 あさましく雨のようにも花おちぬ わがつまつきしひともとの椿 晶子 ▲ 「子」 ごむまりのはづまずなりしさびしさを 壁になげてはかなしめるかな 哀花 ▲ 「接吻」 アマリリス息もふかげに燃ゆるとき ふと唇はさしあてしかな 白秋 ▲ 「つみくさ」 花見れば花のかはゆしつみてよし つむとも何のなぐせめにせむ 牧水 ▲ 「春の陽」 こころみに眼とじたまへ春の日は 四方に落つる心地せられむ 夕暮 ▲ 「接吻」 暖きあかるき底へ沈みゆく くちづけられし若きたましひ 夕暮 ▲ 「ひばり」 からくりめける我の心のはたらきの はたと止れりひばりうららうらら 牧水 ▲ 「矢車草」 にほやかに君がよき夜ぞふりそそぐ 白き露台の矢車のはな 白秋 ▲ 「向日葵」 水のめば朝の洋杯に牛乳の にほひ沁みをりひまはりのはな 哀花 ▲ 「合歓の花」 いつ知らず夏も寂しう更けそめぬ ほのかに合歓の花さきにけり 牧水 ▲ 「つゆくさ」 わがむすめもまっしろな靴を涼しげに はくやうになれりつゆくさのさく 哀花 ▲ 「砂」 東海の小島の磯の白砂に われ泣きぬれてかにとたはむる 啄木 ▲ 「月見草」 月見草花のしをれし原行けば 日のなきがらを踏む心地する 晶子 ▲ 「恋」 大形の被布の模様の赤きはな 今日も目に見ゆ六歳の日の恋 啄木 ▲ 「母」 くすりのむことを忘れてひさしぶりに 母に叱られしをうれしと思へる 啄木 ▲ 「秋の夕ぐれ」 君きぬと五つの指にたくはへし とんぼはなちし秋の夕ぐれ 晶子 ▲ 「眼」 眼とづれど心にうかぶなにもなし さびしくもまた眼をあけるかな 啄木 ▲ 「子」 児を叱れば泣いて寝入りぬ 口すこしあけし寝かほにさはりてみるかな 啄木 ▲ 「つばくらめ」 つばくらめ小雨にぬれぬわが膝は ただいささかの涙にぬれぬ 晶子 |
|
||||
|
|
|
|
|
※ 今月までのバックナンバーは、ページの最下段をご覧下さい。