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メディアが取り上げた鈴木清一 

サンテレビ放送『ニュースEYEランド』
2001年10月30日(火)午後9時30分放映分
制作著作:サンテレビジョン



2001年10月12日に放映された特集コーナーに続き、戦争によって翻弄された鈴木清一の生涯が取り上げられました。番組終了後に、さっそく番組視聴者の方から「どこへ行けば作品が見られるのですか?」との問い合わせをいただき、メディアの力の大きさを実感しています。

取材を受ける三男・耕三 
【回顧展会場で取材を受ける三男・耕三】

熱意を持って取材してくださった局の方に改めて感謝するとともに、このページで放映時のスチール画像の使用を快諾してくださったことに、この場を借りて御礼申し上げます。



忘却の画家と題され紹介

「忘却の洋画家」と題され紹介されました。
今回の放映では、清一が中央・地方画壇で活躍していた頃の作品や、彼を支援した跡部操氏の存在とともに、清一の人生を変えることになった第二次大戦中の活動が、終戦後に大政翼賛会の協力者とみなされ、公職追放のリストに載った背景などについても取り上げられました。



晩年の清一 晩年の清一




第二次大戦開戦直前の清一一家

太平洋戦争開戦直前の清一一家。
写真左から洸介(次男)、清一、藍作(長男)、耕三(三男)、妻・八千代、洲子(長女)





太平洋戦争開戦翌年に撮影されたもの。
中央で聯盟旗を持っているのが常任委員長の清一。



啓明女学院の学生さんらと

鶏鳴女学院の学生さんらと

公職追放後、清一は一切画壇活動から離脱しましたが、教壇に立ち若者の指導に情熱を注ぎました。上の2枚は、1959年〜1978年まで講師を務めた 女学院の学生さんとの写真。
清一は
美術の授業だけではなく、放課後教師陣にも絵を教えていたそうです。
清一から絵を教わった同学院の元校長・津祢茂實氏は「絵を描くことが教師にとっての癒しになっていた」と、当時の様子を語っておられました。


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